考古学コラム Archeology Column

コラムNo.26 縄文時代はいつから?

十日町市教育委員会 阿部 敬

そんな名前の展覧会が、国立歴史民俗博物館で開催されたことがありました。「いつから」ということは、たとえば「紀元前何年から」とか「いまから何年前から」とかいう表現ができるわけですが、それは考えてみれば凄いことです。私たちは教科書などによって江戸幕府が何年前に始まったとか、大化の改新が何年前だったとか習った記憶がありますけれども、なぜそんなことが分かっているのかというと、古い文献にそう書いてあるからですね。そう、「書いてある」からです。歴史家は、書いてあることが本当かどうか大変な思いをしてその検証に努めていますが、いずれにしろ書いてあることに基づいて歴史を作り、教科書をしたためているわけです。

■考古学における時間
 ではそんな文献がない時代ならどうすればいいのでしょうか。例えば縄文時代の出来事を縄文人が書いたことがあったでしょうか・・・ないですよね。だから考古学では文献に頼らないで歴史の時間を語る方法を探していろんなことをしてきました。現在のところ、縄文時代の時間を調べる最も有力な方法は「放射性炭素年代測定法(ほうしゃせいたんそねんだいそくていほう)」とされています。この測定法では、大気中に含まれる放射性炭素が、動植物に取り込まれ、その動植物が死んで取り込みが停止した時点から規則的な速度で壊変(崩壊)する過程(半減期)を時間軸として利用します。
 この方法によって縄文時代は、西暦1950年からさかのぼって約17,000~15,000年前の間のどこかで始まったらしいことが分かってきました。今から約1万年前とか約1万2千年前という数字を目にすることがあるかもしれませんが、それはすでに古い、あるいは曖昧な情報です。分析の精度は日進月歩で、現在のところかなりイイところまできており、約17,000~16,000年前のなかに限定できる見通しが立っています。今後新しい資料が発見されない限り、分析法上は大きく変わることはないことでしょう。

■そもそも「はじまり」とは
 他方、「縄文時代はいつから」を決めるための確かな方法の確立とは別に、「縄文時代の始まりとは何か」をめぐる議論が昔からあり、最近また静かな盛り上がりを見せつつあります。議論の焦点は、縄文時代の始まりを「土器の出現」をもってするか、「定住」をもってするかの二者択一となっています。つまり「土器派」と「定住派」とで対立しているわけです。
 教科書では縄文時代は土器と定住とで始まると書いてあることが多いように思いますが、日本考古学の世界でその考えをとる人は殆どいません。明らかに土器の出現が早く、そして定住はそれから約5,000年も経ってから始まったことが分かってきたからです。これは上で記した放射性炭素年代測定法の進展によるものです。
 現在の「縄文時代」は土器の出現で定義するのが普通です。「土器派」によると、そのほうが分かりやすく、議論の基礎的な操作性が高いからだといいます。言われてみれば確かに、縄文土器は列島の広い範囲で発見されているので、比較がしやすい利点があります。古い時期の土器が見つかった時点で、その地の縄文文化、縄文時代の存在が明らかになります。
しかし「定住派」からすれば、土器の出現が移動生活から定住生活へ変わった人類史的な大事件とはあまり関係がないことが分かった(年代が全然違う)以上、それをもって「縄文時代」を定義する意味がないといいます。定住は狩猟採集生活のリズムとパターンを劇的に変化させ、社会生活から観念世界まで、人間存在のありとあらゆる領域に大きな影響を及ぼしたと考えられるのだから、 定住の始まりから縄文時代が始まったというほうが良いというのです。「定住革命」という言葉を使う人もいるくらいです。
 この二つの考えはどちらも重要です。土器の出現と定住の始まりとは、歴史上において共に重視すべき事柄であることは間違いないので、測る物差しの違いをわきまえ、相互の違いを具体的に表現していく必要があるように思います。「縄文時代はいつから」という議題は、年代だけでなく、その内容、事柄においても深い意味をもっていて、それだけで興味のそそられるトピックになりうるのです。