考古学コラム Archeology Column

コラムNo.25 狩りから稲作へ

長岡市立科学博物館 新田康則

「縄文土器 弥生土器 どっちが好き? どっちもドキ。」という歌詞ではじまる歌をご存じでしょうか?レキシのアルバム『レキツ』に収録されている一曲「狩りから稲作へ」(池田貴史・いとうせいこう作詞 池田貴史作曲)です。

この曲は、若い男女の恋模様を、<縄文/狩猟採集/遊動>と<弥生/稲作/定住>の対立項を使って描きます。ざっくりまとめると“私のことが好きなら縄文人のようにふらふらしないで、弥生人のように一か所(=私のところ)に落ち着いて!”という話になります。たぶん。

この対立項が非常に教科書的。毛皮をまとい、野営をしながら動物を狩り、ドングリを拾いつつ移動して暮らす縄文人。貝塚も重要なキーワード。一方、定住し、屋根の下、暖かに暮らす弥生人。少なくとも、ある年代以上の方々は違和感なく、この曲の歌詞を受け入れられるのではないでしょうか?実際、自分が接する多くの方はこのイメージを共有しています。しかし、そこに描かれる縄文時代像、あるいは縄文人像に違和感を抱いたそこのアナタは縄文通と言えるでしょう。

縄文時代は今から約15,000年前に始まり、約3,000年前に終わったとされます。1万年以上続く時代のため、その生活(社会・文化)は一様ではありません。しかし、近年の理解では、先にあげた縄文人像の多くは、旧石器時代人のものと考えられています。

歌にもあるように、縄文文化の象徴はやはり縄文土器。土器の発明によって、人類文化は大きく変化していきます。煮沸具が加わったことによって食品リストが飛躍的に充実したのです(コラム№19 石原正敏さんの「縄文人はグルメ?」を参照してください)。その一方、土器を家財道具に加えたことにより、移動に制約が加えられることになります。実際に持った経験がある方は少ないかと思いますが、縄文土器の持ち運びは面倒で、いくつもの縄文土器を抱えて移動しようとは思えないでしょう。

卵が先かニワトリが先か、つまりは土器が先か、定住が先かは明らかではありませんが、縄文人は定住への道を突き進み、そして石器をはじめとする生活道具もどんどん増えていくのです。持ち物が多くなれば、移動=引っ越しが大変なのは、現代人も同じですね。

定住するということは、自分をとりまく環境と、安定した関係を構築するということです。近隣のムラとの関係も大切です。山の幸や川の幸、石器の材料となる石、土器づくりの粘土、家や道具を作るための木材…これらがどこにあり、いつ手に入るのか。自然と対峙し、環境知を蓄積させることによって生活は豊かなものになったことでしょう。現代人を魅了してやまない縄文人の精神世界はそこから生み出されているのです。

ところで石器と言えば、石鏃(矢じり)。歌の中に「(縄文人が)矢尻磨く」とありますが、石鏃を磨くのは弥生人なんです。真偽のほどは、長岡市立科学博物館の特別展『ヤジリ ノ レキシ』(会期:平成25年8月10日~9月30日)を御覧になって確かめていただければと思います。

縄文人の衣服については、すでに佐藤信之さんの「縄文人は、何を着ていたか?」(コラム№20)そして、石原正敏さんの「縄文人のオシャレ」(コラム№17)というわかりやすい説明があります。防寒着としての毛皮利用はあったものの、それは季節を通じたものではなく、アンギンに近い編布などが衣服に利用されていた可能性が高いと考えられています。

以上、いろいろとと突っ込んでしまいましたが、いとうせいこうによる巧みな言葉遊び、エッジのきいたギター、アレンジなど楽曲としての完成度も高いお勧めの曲です。ぜひ一度聴いてみてください。

では最後に。

アナタは縄文土器と弥生土器、どっちが好きですか?

縄文土器好きには、信濃川火焔街道連携協議会の『信濃川流域の火炎土器展』(会期:平成25年8月2日~7日 会場:アオーレ長岡)と馬高縄文館の企画展『栃倉式土器をさぐる ―発掘された縄文時代の大集落・栃倉遺跡Ⅱ―』(会期:平成25年7月20日~9月1日)、弥生土器好きには新潟県立歴史博物館の企画展『弥生時代のにいがた 時代がかわるとき』(会期:平成25年7月27日~9月8日)をオススメします。どれもドキッとなること間違いなし!