考古学コラム Archeology Column

コラム№31 ホクリク・ツナガル

長岡市立科学博物館 新田康則

5月の連休に関西へと出かけました。いつもは東京まわりの経路をとるのですが、話のタネに、この3月14日に開業した北陸新幹線を使ってみました。その効果は絶大。あっという間に金沢へ。北陸がぐぐっと近づいた気がします。

という訳で、今回のテーマは、縄文土器にみる新潟と北陸のつながりについてです。

縄文時代中期前葉、火炎土器が作られるようになる少し前の時期、現在の富山・石川県域を中心に流行した土器づくり(「新保・新崎式土器様式」)の影響が新潟県域に及びます。新潟の縄文土器づくりにおいて、最も北陸の影響を受けた時期だと言えるでしょう。似たような土器が盛んに作られます。

しかし、流行の波にのみ込まれるのではなく、地域色を発揮していきます。例えば、長岡市千石原(せんごくはら)遺跡から出土した土器(写真)のような口縁部が大きく山形になる一群は、新潟における北陸系土器の特徴です。

さらに東北南部の大木式・信州の勝坂式・北関東の阿玉台式など周辺の土器づくり文化の要素を取り入れ、それを消化・吸収して、火炎土器という大輪の花が咲かせていきます。それから約5,000年。新幹線開業を契機とする新たなモノ・ヒト・コトの流れが、現代の新潟に何を生み出すのでしょうか?火炎土器のように、時空を超えて人々を魅了するモノが生み出されるとしたら・・・ワクワクしますよね!