考古学コラム Archeology Column

コラムNo.20 縄文人は、何を着ていたか?

津南町教育委員会 佐藤信之

縄文人は、何を着ていたのでしょうか?

現代において生活に最低限必要とされる「衣・食・住」において、縄文時代の住居や食べものに関しては、出土事例がありますが、「衣」については、「食・住」ほどよくわかっていません。
その理由は、縄文人の衣服が見つかっていないからです。

残念ながら、ちゃんとした形で衣服を着た状態の縄文人の出土事例はありません。
酸性土壌で高温多湿である日本では、衣服に使われたと考えられる毛皮や植物素材などの有機物が残りづらい環境にあります。貝塚では貝や骨などは残りますが、有機物は、低湿地などの水を浸かる状態の遺跡でなければ残りません。
けれども、土偶の文様やわずかに出土している植物繊維や防寒・肉体の保護の面から縄文人が衣服を着ていたと考えれらます。

では、どのような衣服を着ていたのでしょうか?
漫画・アニメの「はじめ人間ギャートルズ」の主人公達は、毛皮のようなものを着ていますが、ヨーロッパのアルプス山中で見つかった「アイスマン」も、毛皮の服を着ていた状態で見つかっています。この「アイスマン」は、およそ5300年前の新石器時代人で、毛皮の衣服をまとい、作りかけの弓矢や金属製の斧を身に付けた状態で氷漬けとなって発見されました。

5300年前と言うと、火焔型土器が作られた縄文時代中期頃にあたります。「アイスマン」と縄文人を一緒にすることはできませんが、イノシシやシカ、クマ、ノウサギなどが狩猟されていることからも毛皮も利用されたと考えられます。
毛皮の利用は、現在まで続いています。村上市奥三面や湯之谷、秋山郷など秋田マタギから端を発するクマ猟の猟師は、カモシカなどの皮で作った衣服や手袋、皮靴をまとった出で立ちで雪山へと狩りへ出かけました。現在でも「ファー」という形でコートなどの襟などに防寒具として利用されています。

毛皮以外で、衣服として利用の可能性があるものとして、植物を素材とした樹皮、蔓、植物繊維などがあります。植物繊維を素材とした衣服が想定されますが、衣服自体の出土事例はないものの、「編み」技術によって作られた布の出土事例や土器底部に敷物の痕跡事例があります。
新潟県内では、漆を漉した布の出土事例があります。また、アスファルトや土器の底部に「もじり編み」で作られた布目が観察できる資料が出土しています。
この編んで作られた布を「編布」と呼び、織り機で織って作られた「織布」とは一線を画します。「編布」が縄文時代にあったことは間違いなく、この「編布」が衣服の1つとして利用された可能性が考えられます。

「編布」は、民俗学では、「アンギン」と呼ばれ、カラムシやアカソの植物の茎部分の繊維を取り出し、この繊維を撚って糸にして編んだものを指します。
この「アンギン」は、時宗の僧衣として着られ、江戸時代の書物『秋山記行』の中にも「アンギン」が着物の上に着ている様子が描かれています。この民具「アンギン」が最初に見つかり、編み技術が解明されたのが津南町です。

縄文時代まで遡り、縄文人が衣服として利用したかもしれないものの1つにこの「アンギン」が考えられます。
けれども、民具の「アンギン」と縄文時代の「編布」では、若干編み方が異なります。民具の「アンギン」が布目が荒くタテ糸がヨコ糸に対して目を1つ飛ばしながら編まれているのに対して、縄文時代の「編布」は、非常に布目が細密でタテ糸とヨコ糸が交互に編まれており、「織布」に近く衣服としての機能が備わっていたと考えられます。

耳飾りや錘飾り、腰飾り、櫛飾りなどを作り、身に付けた縄文人がどのような衣服をきていたのか考えてみてはいかがでしょうか?