津南町農と縄文の体験実習館の愛称が「なじょもん」です。津南の方言で「なじょもきてくんねかい」ということばがあり、「どうぞ、どうぞ来てくれませんか」という意味の言葉です。また、津南が縄文の里であることから、「なじょも」という言葉と「じょうもん」という言葉を融合した造語です。
この“なじょもん”が建設された台地は、約15haの広さがあり、館としての“なじょもん”(農と縄文の体験実習館)と縄文ムラ、雑穀畠、雑木林、散策道が整備されています。
ここでは「なじょもん縄文ムラ」をご紹介しましょう。
縄文ムラには、現在4棟の竪穴建物が復元されています。全国にある復元竪穴建物は、専門業者が建設会社に発注して建設される高額な施設でありますが、なじょもんの復元竪穴建物は地域住民と学芸員による手作りを特徴としています。
1年に1棟の復元竪穴建物を、地元の古老と共に進めています。モデルは国指定史跡の沖ノ原遺跡1号住居跡です。竪穴の形や柱穴の位置は、発掘記録平面図を設計図として進めています。まず、春先、残雪が残る3月末、「はるきやま」です。柱材の伐採、雪の上に山ソリに乗せて、みんなで縄文ムラに引っ張り運び入れます。次ぎには、皮むきです。木皮が付いていると虫がふけると古老は言います。木皮剥きは大切な仕事です。縄文時代では、縁部の鋭い大形剥片を利用したと考えられることから、一部は大形剥片を使いますが、古老は「鎌が早いゾ」といい、鎌で進めます。しかし、われわれ体験学習は、剥片や手で皮剥きを進めます。
竪穴建物の位置は、環状集落の配置を意識し、互いの建物が向き合うように工夫します。すなわち。朝、玄関から顔を出すと顔が向き合う、関係が保たれます。次ぎに、柱材や梁材、桁材などを確認します。特に、柱材は幹と枝で生まれる又木が重要です。その又木の部分に梁材がのります。安全上、今は接地部にボルトを入れて締め、番線で締め上げたのち、その上に弦で縛り飾ります。
柱、桁、梁の順で建設が進み、上屋掛けの作業に入ります。桁に対して直交するように枝材を弦で縛り付けていきます。その後、煙出し部や入り口部を作り出し、萱掛けです。萱は前年度の秋に収穫して、大木にくくりつけて越冬です。春の柔らかな光と風で乾かし、使用します。そうそう、屋根に萱を掛けると暗くなることから、その前に石囲い炉の造作が入ります。
これら復元竪穴建物は、子ども達を巻き込みながら体験実習の一環で進めています。子どもは、山ソリ運び、皮むき、縄なえ、萱運びなど、作業の一部ではありますが、眼を輝かせ、ピカルと光る汗を流し、縄文ムラに笑い声が響きます。そんな一コマが、なじょもん縄文ムラにあります。
今まで景観であった復元竪穴建物は、平成21年度から使える復元竪穴建物をコンセプトに様々な活動を展開してきました。竪穴建物の中での、縄文クッキー作りや土器作り、昔話やアクセサリー作りです。異色な活動には、町議会の総文委員会の会議や、なじょもん友の会総会などがあります。
また、縄文料理を食べて、縄文星空を見ながらの宿泊体験は、格別な思いで作りとして好評を得ています。
平成22年の冬季は、縄文雪上探検と題して、スノーシュウーを履き、動物の足跡やウンコの観察、植物の春眼に触れるなど、びっくりな体験ばかりです。コーヒーブレイクは、囲炉裏が燃える復元竪穴建物中でひと休憩。煙で涙、でも、暖かい灯火と縄文クッキー、そして、おいしいドングリコヒーは格別です。
どうぞ、冬のなじょもん縄文ムラも楽しい思いでつくりができますよ。さあ、みなさんおいで下さい。