12月から翌2月までは、各自治体にとって予算編成作業に追われる時期です。この時期になると思い浮かんでくることがあります。
どの自治体においてもその財政状況の厳しさが年々増している状況にあることは、職員として当然理解しなければならないことです。当博物館は全職員が「文化財課」職員を兼務しています。過疎化や高齢化の進む地域をいかに元気にさせるかという課題は、文化財課としても例外ではありません。
地域からの要望を予算に反映させるかということと、「○○パーセント削減」という枠の間で呷吟するのがこの時期です。
地域からの要望を予算に反映させるかということと、「○○パーセント削減」という枠の間で呷吟するのがこの時期です。
当文化財課は、国宝火焔型土器出土地である笹山遺跡を中心として、地域の活性化を図るための事業「火焔の都整備事業」を所管しています。この事業も厳しい財政状況の中でなかなか予算がつかず、地元住民の中ではイラついた感情すら見受けられる状態でした。
そんな2年前のことです。
火焔の都整備事業の次年度予算要求は、用地買収費を中心として1200万円ほどを財政当局に提出しました。しかし、財政課長査定は「0」査定。全く予算がつかないというものでした。その後の折衝の結果、最終判断は市長査定ということになりました。
話はそのおよそ1カ月前に飛びます。
十日町市、長岡市、津南町の小学校6年生、合わせて6クラスでは博物館、県立歴史博物館との連携による「縄文」をキーワードとした総合学習に取り組んでいました。これを火焔街道博学連携プロジェクトと言います。
この年も、参加児童による研究発表会が、県立歴史博物館で開催されました。
私はこの模様をビデオカメラで収録していましたが、ある一人の児童の発表の時、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを禁じえませんでした。発表が終了してからも、しばらくその会場内でそれを確かめるように佇んでおりました。
1カ月後の市長査定の席上で、そのビデオを市長はじめ市の幹部に見てもらいました。その結果、「0」査定から当初要求を上回る額の予算要求が認められたのでした。
もちろん、一人の児童の研究発表だけで市長が判断したとは思いません。総合的な判断の一材料であったかもしれませんが、市長はじめ居並ぶ幹部たちの心に何らかのインパクトを与えたことは事実だと思います。
少し長くなりますが、その児童の発表を引用します。
「国宝の火焔型土器群をはじめ、様々なものを自然から作り出し、自然の中で自然とともに暮らしてきた縄文人にとって、中条はとても暮らしやすいところだったのかも知れません。(中略)そして羨ましいことも分かってきました。
それは協力することの大きさ、人と人とのつながりの温かさです。ひとつの火を囲み、家族や仲間が一緒になって暮らしていたんだろうなと思います。僕も家族や仲間と協力しあったり、楽しく遊んだりして仲良く暮らしたいと思いました。僕は縄文時代の様子や中条の自然を生かして、食べ物を採集し暮らしていた縄文人の様子を調べたり体験したりすることで、縄文人のメッセージが聞こえてきたように思います。
縄文時のメッセージは僕たちの調べ活動や体験活動だけではなく、たくさんの方からも伝わってきました。僕たちは「なじょもん」や「博物館」などの学芸員さん、縄文倶楽部、ドングリ倶楽部、アンギン伝承会、そして地域の多くの方々からたくさんのことを教えていただきました。僕たちが縄文に関わることを知りたい、体験したいという思いをお話しすると、喜んで協力してくれる人たちに出会いました。ドングリやトチの木を植樹している方、自分が調べたことや技を教えようとしている方、笹山遺跡を大切に思いそのまわりの環境を守り、僕たちにその思いを引き継いでほしいと願っている方々などたくさんのメッセージをいただきました。(中略)
僕はまだまだわからないことがたくさんあるので、これからも中条の宝である笹山遺跡や縄文人の暮らしについて調べたり体験したりしてわかったことを伝えたいと思います。
そして、中条に暮らす人々のふるさと中条を愛する気持ちを受け継ぎ育ててゆきたいと思います。これが僕からのメッセージです。」
私は、考古学の専門家ではありませんが、考古学が基礎となった子育て、人づくりが目の前で行われていることに深い感動を覚えたのです。そして、それが文化財行政への大きなモチベーションとなっていることを確信しました。