考古学コラム Archeology Column

コラムNo.1 発見する喜び、考える楽しみ

新潟県立歴史博物館 山本哲也

以前、発掘調査の仕事をしていた時のことである。パートの主婦が主体となる調査補助員という方々にとにかく掘ってもらい、自分は調査員としてそれを監督する立場にあった。しかし、時には自分で掘りたくなるものである。そう思っていたある時、さる発掘現場において調査期限切れ間際のためもあって調査員総出で掘っていた。その際、幸運にも弥生時代の銅釧(銅の腕輪)を自分自身の手で掘り出したのである。その時の興奮は今でも忘れられない。まぎれもなく自分が発見者であるのだから、なんともたまらないのである。

 また、こんなこともあった。古墳時代の玉作り(臼玉という小玉作り)が行われていた住居を発掘していた時、掘り進む途中で玉の形を整えるためにみがくのに使用したと思われる砥石が見つかり、さらに掘り進んでいくと、小さな穴が2つ掘られていた台のような石が住居の床から見つかった。砥石は床から30cmほど浮いた状態だったのである。その状態を見た時、ハッとなった。あぐらをかいて床にすわり、胸元あたりで砥石を使って玉をみがき、腰のあたりに置いてある台石の穴にきちんと納まる程度までみがき込んで、大きさを整えている玉作り工人の姿が思い浮かんだのである。

 自分で発見できるからこそ喜びは大きく、自分で考えられる場面に出会えるからこそ発掘調査や考古学は楽しいと常々思っている。今はその喜び・楽しみを多くの人に伝え、分かち合いたいと、博物館で日々奮闘している。そして将来を担う子ども達にこそ、その喜び・楽しみを味わってほしいと願い、博物館と学校の連携をさらに進めるべく、火焔街道博学連携プロジェクトなどの様々な試みを続けている。信濃川火焔街道は考古学によって喜び、そして考古学を楽しむための、恰好の舞台なのである。