考古学コラム Archeology Column

コラムNo.28 本物の縄文暮らしをめざして その2

「本物の縄文暮らし」がテーマの三条市で行った「縄文インストラクター養成講座」では、河原から石材を拾ってきて、できるかぎり当時の方法で旧石器時代のナイフ形石器や縄文時代の磨製石斧を作り、実際に使ってみる体験を行いました。

第1講は平成20年6月15日、「石器に魅せられて」の座学の後、素材となる石を求めて「石材探しの旅」に河原へ行きました。まず、磨製石斧の石材や石器を作るための敲(たたき)石(いし)を拾うために、五十嵐川の中流域へ行きました。下田大橋下の比較的広い河原で片手にハンマー、片手に土嚢袋を持って皆思い思いの石を拾いました。安山岩、頁岩(けつがん)、凝灰岩、鉄石英(黄色)、チャートなどが拾えました。お昼は、移動しリバーパーク八木ヶ鼻で、圧倒的な存在感を誇る市指定名勝八木ヶ鼻と御淵(みふち)と呼ばれる神秘的な淵の景観に感動しつつお弁当・・・。御淵の左岸には2万年前の国府型ナイフ形石器の出土で著名な御淵上遺跡があります。

午後は、旧石器時代のナイフ形石器を作る石材を拾うため、五十嵐川を遡り大谷地にある支流の親沢川へ向かいました。五十嵐川との合流点に近いところへ降り、木々の生い茂る狭い沢を遡って、石を探しながら進み、頁岩、鉄石英(赤玉)、安山岩、流紋岩などが拾えました。帰りはロープをつたって崖を登りましたが、自分の体重に石の重さが加わり、皆やっとの思いではい上がりました。実はこの直前、ロープなしで斜面に挑戦した人が落ちるハプニングがありヒヤヒヤしましたが、幸いケガはありませんでした。

この川をもう少し遡ると左岸側に縄文時代中期から後期の赤松岩陰遺跡があり、昭和40年に長岡市立科学博物館の中村孝三郎氏を中心に行われた発掘調査で火を焚いた痕が見つかっています。また親沢川の南に広がる赤松遺跡も中村氏によって昭和45年・55年に発掘調査が行われました。この遺跡からは、約6,000点以上のやじりとその製作途中のかけらが出土していて、縄文時代晩期のやじりの製作工房と考えられます。実はその過半数は、以前親沢川の河口近くで拾うことができたと言われる玉髄という乳白色の石でしたが、この石は今回の調査では拾えませんでした。

赤松遺跡で表面採集も体験し、玉髄のやじりなどの石器や縄文土器を拾うことができました。第1講は、座学、石材採集、遺跡の表面採集で、石器の世界の入口に入り込んだような1日でした。次話は、今回拾った石を使って磨製石斧作りを行った第2講のお話をします。