考古学コラム Archeology Column

コラムNo.17 縄文人のオシャレ

十日町市博物館 石原正敏

縄文時代のムラを発掘調査すると、土器や石器に混じって、土偶という土でできた人形のようなものが出てくることがあります。胸や腹、お尻のふくらみなどから、女性を表現しているものが多く見られます。

土偶をよく観察すると、縄文人の顔つき、髪型、体形、服装などをある程度推定することができます。祀りのときなどに顔に化粧や入れ墨をしたり、歯を黒く染めていたのではないか、と考えられています。

縄文人のオシャレのようすを図にしてみました。クマやイノシシなどの毛皮を加工した服が一般的であったと思われますが、ほかに植物の繊維を編んだ布があったことが明らかになってきています。編布、編衣あるいはアンギンと呼ばれています。カラムシ、アカソなどの麻植物の繊維を素材にして、俵やスダレを編むような工具で編んだと推定されています。服にはどんな文様が入っていたのでしょうか。

 編布片は、これまでに鳥浜貝塚(福井県)をはじめ、全国の9遺跡から20片ほどが出土し、その年代は前期から晩期にわたっています。また、編布の圧痕がついた土器も十日町市幅上遺跡の例を含め、全国の30余りの遺跡から100点以上出土しています。出土例は、今後ますます増えるものと予想されます。縄文時代の編布は、弥生時代以降の織物を考えるうえで、重要な手がかりを与えてくれます。

縄文人が造りだした工芸品の中に、アクセサリーと呼べるようなモノがあります。それは、髪飾り、耳飾り、胸飾り、腰飾り、腕飾りなどです。素材は土、石、木、貝、角、牙などが使われ、中には漆やベンガラなどが塗られたものもあります。

十日町市樽沢開田遺跡からは、縄文時代後期~晩期の耳飾りや腕飾りなどが数多く出土しています。耳飾りなどについては、オシャレのほかに性や身分を区別する目的があったのではないかと考えられています。耳飾りをつけるために耳に孔をあけたり、健康な歯を人工的に抜く抜歯の風習があったことなど、身体を装飾することは、人工的な身体変形も含んでいたと思われます。衣服や飾りを見ると、現代社会と縄文文化が繋がっていることがわかります。