考古学コラム Archeology Column

コラムNo.14 津南「町まるごと博物館」構想

津南町教育委員会 佐藤雅一

甲武信岳を源として流れ下る千曲川は、旅情豊かな小諸市街地を西流し、善光寺平で大きく流れを北に変え、飯山盆地を潤し、市河谷と呼ばれる地峡地帯を縫い、津南に入ると名前を信濃川と変える日本一長い河川です。

津南の特徴は、この信濃川とその支流群、特に中津川によって形成された河岸段丘です。河岸段丘とは、平坦な台地が階段状に連なる特異な地形であり、古くは河川氾濫原でしたが、地形の隆起と河川の下刻作用、そして活断層活動が伴い、現在見る高低差のある段丘が作り上げられました。火焔土器研究の父である中村孝三郎先生は、この段丘地形と中津川渓谷に魅せられ幾度となく太古の遺跡探訪で来町され、多くの遺跡を発見し、発掘調査されました。その回想を「洞窟巡礼」として書き残されており、そこに津南の地形を指し、『日本のグランドキャニオン』であると讃えておられます。

現在の津南下流の信濃川河川敷は標高約150mを測り、そこから北東方向に苗場山山頂が聳えています。その山頂が約2,145m余りを測ります。その距離、直線で約25kmです。この約25kmの間で地勢はダイナミックに変化し、約2,000mの高低差を持ち、そこの地質と気象との関係を背景に標高階層による生態環境が広がります。すなわち、多様な生態環境が標高階層的に広がりを見せているともいえます。

その植生を取り上げるならば、南や北、そして太平洋岸に繁茂する植物の分布限界が、この津南である場合が多く有ります。例えば、新潟の県木であるユキツバキは、中津川流域の見倉付近で南限境界があり、赤沢にはユキツバキは自生していません。

また、苗場山など火山活動が太古の昔にあったことから、昆虫界にも興味深い分布が研究されていますし、河川にも多様な岩石が点在し、その多くに剥離性のある石器石材が豊富に含まれていることも明らかになっています。

このようなすばらしい自然環境を背景に、人間文化の歴史が台地に刻まれており、古くは約3万年前に遡る正面ケ原D遺跡が発見されています。オオツノシカを追いかけていた旧石器人の狩猟場であった津南段丘は、中部地方における旧石器時代遺跡の密集地として知られています。また、その後に開花する縄文文化は、約1万年もの長い間、森の民として暮らした人々の文化です。その初源である草創期から弥生時代へと終焉する晩期までの長い時間を概観できる遺跡群が分布することから「縄文銀座」とも言われています。さらには、その初源である草創期の遺跡は、どこにでも発見されるものではないのですが、信濃川と清津川との合流点には、日本一の草創期遺跡群の密集が認められます。まさに縄文文化の源といえる土地柄です。

このように津南町には、すばらしい自然環境とその自然を資源化し、循環型経済を生み出した縄文文化が台地の履歴として深く刻まれています。また、その縄文技術伝統は、近代まで生活の中にイキイキと生き続け、雪国民俗技術として保存されました。

このように未来を見据える大切な歴史が残る津南は、町のいたるところに現物として豊富な教育素材が点在している町であることから、「町まるごと博物館」であると捉え、その核として『農と縄文の体験実習館』を平成16年に建設しました。

日本の基層文化である縄文文化から自然との共生を学び、縄文伝統を背景とした雪国民俗技術から生きる力を体験し、「食」の歴史と安全性、そして、食を口にするまでのプロセスを五感で感じる新しい教育プログラムを提供することが、この館の役割であります。

このコンセプトがジワジワと口コミで広がり、小学校などの遠足や修学旅行、子ども会のイベントとして、この館が使われるようになってきました。どうか皆様も一度お出でください。