考古学コラム Archeology Column

コラムNo.12 縄文時代の「食」体験記

長岡市立科学博物館 櫻井 幸枝

ここ何年か、縄文時代の「食」に関する仕事をする機会がある。主に子供たちへの教育活動として、当時食べていたものを再現し、試食するというものである。主な材料はトチノキやクルミなどの木の実である。しかしトチの実を食べるということはとても大変なことだ。そのまま口に入れたのでは苦くて渋くて、とても飲み込もうなどと思える代物ではない。

以下は、最初にアク抜きを試した年の体験である。その苦い渋い成分つまり「アク」を取り除く作業は、インターネットや本で情報を仕入れてはみたものの、手探りでの実験から始まった。なにせ、書いてあることがそれぞれ全く違い、しかもどれが正しいのかという判断ができないのである。流水にさらす?なぜ流水??木灰に浸した後灰を流す・・・実も流れてなくなったりしないの???一日煮るって、溶けてなくなったりしないの????

だいたい、お土産品の栃せんべいや栃餅を食べてイメージはしてみたものの、出来上がりの味が想像できないものをつくるというのはとても困難なことなのだった。

なんとかひととおりやってみて、ちょっとかじってみるが、「・・・すごい苦い・・・」、どうしようか。もう一度、煮る作業と灰でアクを抜く作業を繰り返す。こんどこそ!「・・・苦い・・・」。この苦味が抜けきるものじゃないっていうことを、体で知ることになった。このトチを使って、いざ、クッキーの試作にもチャレンジ、何も知らない人たちにもお勧めしてみるが、「砂糖を入れたらおいしいんじゃないですか?」などと評判はあまりよくない。でもまあ、食べられないことはないし、これでOKにしとこう。

改めて教材用のトチのアク抜きをすることになる。2度目だから大丈夫と思ったが、思うようにはいかないものだ。皮をむいたらカビていて全滅、流水にさらしたら水温が高かったのかどうも発酵したようになり全滅。ここでトチのストックが底をつき、あわてて分けてもらう手配を頼み、材料も時間も今度こそリミットという中で3度目の正直、何とか間に合った。

このように大変苦労して準備したトチと、子供たちが石でたたいて殻を割ったクルミと、つなぎとして長いもを入れてよく混ぜ、形をつくったらじっくり焼く。ちなみに砂糖は無い想定で、塩で味を付けるのは子供たちには驚きだったようだ。

「いただきます!」さあ、試食タイム。

「・・・」自分たちでつくったものだからか、最初は言葉が出ないが、「なにこれにがいー」「おいしくないー」と、子供の正直な感想にはちょっと心が痛んだ(今はもう慣れたけど)。

そして、この一連の準備から実施までを無事に終えた後に、アク抜き済みのトチを販売している業者さんが見つかる、というオチまでついたのであった。

その後何年かの間に、何回かの体験学習をとおしてわかったことだが、だいたい子供10人中1-2人くらいが「食べられるよ」といってくれる。それに、試食した大人の中からは「おいしいと逆にうそっぽい」という声が上がったこともある。そうだ、「おいしかったね」ではそれで終わってしまうのだ―「本当に、こんなものを食べていたの?」と思うところがきっかけで、何かにつながっていくのかもしれない―

一度、大人が一緒に体験に参加したときに「何か得体の知れないものを作らされている気がする」という雰囲気でどんどん重くなっていった空気は、子供の「まずい」コールよりつらかった。日ごろから料理をしている大人にとっては、レシピなし、計量なし、時間も適当という手さぐり的なのは不安をあおるようで、今では最初から雰囲気を盛り上げるようにして進めることにしている。

お米のない時代って大変だったんだ、と感じ、こんなに手間のかかるアク抜きをして、こんな味のするものを食べていたのだと知ることで、「食べること」への思いというか執念が伝わってきた。一説には「トチなんか食べたくて食べていたわけじゃなく、他の食べ物が手に入らない、これしか食べられない状況になったから食べていたんだ」といわれているようだが、それでもトチの実は、縄文時代の人たちのくらしを支える大切な食べ物だったらしい。それもなんだか納得できる。その辺のところを感じることができるのも、自分たちでアク抜きを体験できたからだと思えば、本当によい体験ができたと思う(今は購入しているけど)。

土器や石器に比べたら、遺跡から見つけられる機会は少ないけれど、生きることに直接つながっていた「食」、時代が変わってもスタイルが変わっても、「今日は無くていいや」っていう訳にはいかない、途絶えることはなかった「食」。コンビニもない、自動販売機もない、冷蔵庫も電子レンジもペットボトルもない時代を想像するのは、子供たちには難しいみたいだけれど、それでもこういった体験ができる機会を、たくさん提供できるといいと思う。歴史、遺跡などを学ぶきっかけでもあるけれど、何より「食べる」ということがどういうことなのかを、体で感じてもらえると思うからである。