考古学コラム Archeology Column

コラムNo.11 考古楽から考古学(その3)

津南町教育委員会 佐藤雅一

三条ジュニア考古学クラブは、五十嵐川流域を中心として、時には足を伸ばし、刈羽田川流域や加茂川流域、角田山麓、津南段丘まで遺物採集の活動範囲を広げていました。最上級にいた私たちが高校1年生の夏に、クラブ室としてのプレハブ(6畳)を購入する計画を立てました。クラブ員の一人の父が建設会社社長であったことから、立替で新品のプレハブを購入いただき、クラブ長宅の庭の一部に建設することとなりました。

毎週土曜日には、自転車が20台以上ならび、さながらソロバン塾のようでした。そこでは、作業と称して採集資料の分類や注記、そして台帳作成などが行われた後は、黒板を使った本格的な土器や石器の勉強会が実施されていました。そして、1ヶ月に1度の検定があり、5級~1級の試験が実施されていました。

例えば、①馬高遺跡の概要を100字で書け、②旧石器時代の彫刻刀形石器(グレィーバー)の定義を記述しなさいなど、大学生も驚く内容の勉強会を背景とした検定試験が行われていました。今思えば、生意気な高校生・中学生集団でした。

また、手に入れたプレハブの金額は24万円くらいと記憶しています。4人の高校生がアルバイト(モヤシ屋・プレス工場・発掘調査)して、毎月1万円返金続けました。

そうそう、このプレハブ研究室建設を契機に、「三条ジュニア考古学クラブ」から「三条考古学研究会」に改名し、ジュニアからの脱皮を果たしました。

一皮剥けた生意気集団は、さらなる飛躍を始めます。こずかいを貯め、特急「とき」に飛び乗り東京へ、明治大学考古学資料館を見学し、神保町で考古学の本を買いあさりました。あるとき慶文堂古書店で高価な旧栃尾市の『栃倉遺跡』の報告書を買うとき、店主のようなお爺さんが「君達、どこからきたのか」と聞かれ、「新潟県三条です」と答えるとビックリされ、「私は長岡の出身だ。しっかりと勉強しなさい」と言い、高額な定価を2割引にしてくださり、ウキウキになって帰郷した事を覚えています。

また、三条商業高校社会科クラブ考古班のOBが、東京都国分寺市の武蔵国分寺跡発掘調査団にいたことから、高校生のときに上京し、発掘に参加しました。ちょうど、そのとき、後に国の重要文化財になった完全な緑ユの皿が出土しました。この皿に中心には 凡字で「バーン(大日如来)」と書いてある優品でした。その優品の皿が、どうしたことか、先輩の四畳半の部屋にあり、二度と触れることができないと言いながら、その皿で酒を飲むまねをしたすさまじい記憶がよみがえってきました。

高校2年生になったら活動範囲がさらに広がり、その勢いがあまって津南まで行くこととなりました。いくら50ccのバイクとはいえ、津南までの道のりは長く、帰りはクタクタになった覚えがあります。記憶によれば、長野県最北の駅「森宮野原駅」まで行き、三国コカコーラでない信越コカコーラのキャップと信濃毎日新聞を土産に買って、仲間に得意になっていた自分達がいました。しかし、その時に、どこの遺跡を踏査したのかは覚えていません。

また、私達の聖地は、長岡悠久山の博物館でした。こずかいが貯まると三条から長岡まで行き、あの怪しい地下道を歩くのが好きでした。地下道に並ぶ、いっぱい飲み屋の赤提灯を横目に、あの怪しい臭いの中、骨董屋や金魚店を覗き、東口に出るのです。東口からチンチン電車。悠久山公園駅(?)で下車し、トコトコ歩き、科学博物館へ。博物館の正面が考古の部屋でした。中村孝三郎先生が書いた原始人の復元図が掲げてあり、ガラス越しに貴重な土器や石器が展示してありました。ガラスに額を当てながら覗いているとき、肩を叩くお爺さんがいました。「私はこの貴重な遺跡が点在する津南の近くに住んでいるよ。君たちはどこ?」「三条です」「考古学好きなのか」「勉強して大学にいってから、ゆっくりと考古学をしなさい」と会話を交えた方が、後に再開する十日町市のS氏でした。

そんなこんなで、多くの方々と出会い、赤い糸に引かれ、考古楽に触れた三条ジュニア考古学クラブの一員のうち、4人が考古学の道を歩み、現在、文化財保護に関連した仕事に付き、考古学を今、楽しんでいるのです。

50歳にして、自らの体験を思い浮かべれば、子供の頃の衝撃的な体験が一生を左右する場合があるという実感があります。私は今、津南町農と縄文の体験実習館「なじょもん」で多くの児童に接し、津南段丘の自然環境と人々の歴史文化を伝える仕事に従事しています。この仕事は郷土愛を育成する責任のある重要な仕事です。自らが生まれた土地の履歴にふれ、その土地のすばらしさを感じ、その歴史と文化、そして、歴史的環境を大切に思う心を育みたいものです。

皆さん、津南町の「なじょもん」においでの際は、気軽に声をお掛けください。精一杯、皆様に津南段丘に展開した縄文文化のお話をさせていただきます。また、事前にご連絡いただき日程調整が合えば、現地案内も喜んでさせていただきます。その際は、「火炎街道のHPを見ましたよ」と一言お願いいたします。