• TOP
  • 火焔型土器とは?

日本遺産

Kaen-gata Doki

「火焔型土器」は、昭和11年(1936)長岡市の馬高(うまたか)遺跡で初めて発見された「火焔土器」をはじめとした、信濃川流域の遺跡から出土した、4つの鶏冠状把手(けいかんじょうとって)や鋸歯状突起(きょしじょうとっき)などを持つ、燃え上がる焔を思わせるような造形美を誇る縄文時代中期を代表する土器です

「なんだ、コレは!」

日本遺産認定

文化庁は、平成28年4月19日開催の「日本遺産審査員会」の審査を経て、全国の自治体から提案のあった67件の中から新たに19件を「日本遺産」に認定しました。
その一つとして、新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町で申請したストーリー『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』が日本遺産に認定されました。
平成29年4月28日には信濃川の支流・魚野川が流れる魚沼市が新たに加わりました。

- ストーリー -
日本一の大河・信濃川の流域は、8000年前に気候が変わり、世界有数の雪国となりました。この雪国から5000年前に誕生した「火焔型土器」は大仰な4つの突起があり、縄文土器を代表するものです。 火焔型土器の芸術性を発見した岡本太郎は、この土器を見て「なんだ、コレは!」と叫んだといいます。 火焔型土器を作った人々のムラは信濃川流域を中心としてあり、その規模と密集度は日本有数でした。このムラの跡に佇めば、5000年前と変わらぬ独特の景観を追体験できます。
また、山・川・海の幸とその加工・保存の技術、アンギン、火焔型土器の技を継承するようなモノづくりなど、信濃川流域には縄文時代に起源をもつ文化が息づいています。
火焔型土器は日本文化の源流であり、浮世絵、歌舞伎と並ぶ日本文化そのものなのです。